『史記』項羽本紀を読んでみよう:その20

その19(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180907/1536246365)の続き。





沛公已出、項王使都尉陳平召沛公。沛公曰「今者出、未辭也、為之奈何?」樊噲曰「大行不顧細謹、大禮不辭小讓。如今人方為刀俎、我為魚肉、何辭為。」於是遂去。乃令張良留謝。良問曰「大王來何操?」曰「我持白璧一雙、欲獻項王、玉斗一雙、欲與亞父、會其怒、不敢獻。公為我獻之」張良曰「謹諾。」
當是時、項王軍在鴻門下、沛公軍在霸上、相去四十里。沛公則置車騎、脱身獨騎、與樊噲・夏侯嬰・靳彊・紀信等四人持劍盾歩走、從酈山下、道芷陽輭行。沛公謂張良曰「從此道至吾軍、不過二十里耳。度我至軍中、公乃入。」沛公已去、輭至軍中、張良入謝曰「沛公不勝桮杓、不能辭。謹使臣良奉白璧一雙、再拜獻大王足下。玉斗一雙、再拜奉大將軍足下。」項王曰「沛公安在?」良曰「聞大王有意督過之、脱身獨去、已至軍矣。」項王則受璧、置之坐上。亞父受玉斗、置之地、拔劍撞而破之曰「唉!豎子不足與謀。奪項王天下者、必沛公也、吾屬今為之虜矣。」
沛公至軍、立誅殺曹無傷。
(『史記』巻七、項羽本紀)

劉邦、虎口を脱する。



「挨拶してないけど、どうしよ?」と言う劉邦を樊噲がたしなめるのが面白い。




劉邦は樊噲・夏侯嬰・靳彊・紀信だけを連れて自分の軍に戻る。連れてきた兵も置いていくという見事な遁走。いったん逃げるとなったら思い切りがいいはの劉邦の長所かもしれない。




劉邦にとって、この4人は腹心と言う事なのだろう。樊噲・夏侯嬰は言うまでもないし、紀信は後に劉邦を身体を張って助ける事になる。靳彊も後に南郡太守になっている(当時はひとつの郡の領域が広いので、太守の格も高い)。





劉邦を取り逃がした范増は怒りのあまり項羽に暴言を吐く。軍事的には項羽劉邦を殲滅できるかもしれないが、この宴席で暗殺できずに軍と軍のぶつかり合いになったら項羽の側だって無傷では済まないし、樊噲が指摘したような周囲の反感というのも拡大する一方だろう。



ついでに言えば、項伯みたいに項羽の軍内にだって何らかの事情で劉邦に同情的な者もいた事が明白になっている。




項羽は、こういった観点から、暗殺に邪魔が入った時点で、劉邦を物理で潰す事を保留する事を選んだのだろう。





一方、軍に戻った劉邦は、裏切り者曹無傷を血祭りに上げる。


ここの「立」の意味は「たちどころに」である。軍に戻るや真っ先に殺したのだろう。