『史記』項羽本紀を読んでみよう:その18

その17(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180903/1535900509)の続き。





沛公旦日從百餘騎來見項王、至鴻門、謝曰「臣與將軍戮力而攻秦、將軍戰河北、臣戰河南、然不自意能先入關破秦、得復見將軍於此。今者有小人之言、令將軍與臣有卻。」項王曰「此沛公左司馬曹無傷言之。不然、籍何以至此。」項王即日因留沛公與飲。
項王・項伯東嚮坐。亞父南嚮坐。亞父者、范筯也。沛公北嚮坐。張良西嚮侍。
范筯數目項王、舉所佩玉玦以示之者三、項王默然不應。范筯起、出召項莊謂曰「君王為人不忍、若入前為壽、壽畢、請以劍舞、因撃沛公於坐殺之。不者、若屬皆且為所虜。」莊則入為壽、壽畢、曰「君王與沛公飲、軍中無以為樂、請以劍舞。」項王曰「諾。」
項莊拔劍起舞、項伯亦拔劍起舞、常以身翼蔽沛公、莊不得撃。
(『史記』巻七、項羽本紀)


劉邦、朝になるとすぐに項羽の軍営を訪ねる。



お供は百騎というから、まあ最小限の護衛だけだ、という事なのだろう。




そこで自分が秦を落とせたのも項羽様のお陰と言わんばかりのコメントをかまし、気を良くしたのか項羽劉邦の事を密告したのが劉邦の部下の曹無傷だとうっかり教えてやる。



現代なら公益通報者保護の意識が無いと炎上案件になるところだ。




そして、項羽陣営の范増は劉邦殺害を強く主張、項羽に対して「玉玦」を何度もチラ見せする。



「玦」すなわち「決」、つまりこの場での劉邦殺害を決せよ、という事だ。




しかし当の項羽劉邦が下手に出た事で絆されたのか、范増の指示を無視。




范増は范増で項羽関係無く劉邦殺害を決め、項荘に宴会の余興の剣舞にかこつけて剣を持ち込ませ、その剣で劉邦をグサーしろ、と命じた。「やらないならお前らが捕らえられる」などと脅しまでかけている。




今度はそれを見て項伯が立ち上がり、一緒に剣舞をすると称して項荘から劉邦を庇い続けるのだった。




項荘としては強制されただけだし、下手に動いて親族であろう項伯を傷つけたくもないだろうし、何より独断専行でやった事を項羽が許さないかもしれないわけで、項伯が庇っても関係なくやり遂げてやる、みたいな気持ちは持てなかったのだろう。




かくして、項荘と項伯は膠着状態となるのだった。