人材を求めるという事

十五年春、下令曰「自古受命及中興之君、曷嘗不得賢人君子與之共治天下者乎!及其得賢也、曾不出閭巷、豈幸相遇哉?上之人不求之耳。今天下尚未定、此特求賢之急時也。『孟公綽為趙・魏老則優、不可以為滕・薛大夫』。若必廉士而後可用、則齊桓其何以霸世!今天下得無有被褐懷玉而釣于渭濱者乎?又得無盜嫂受金而未遇無知者乎?二三子其佐我明揚仄陋、唯才是舉、吾得而用之。」
(『三国志』巻一、武帝紀)

このいわゆる曹操の「求賢令」。




この令の中で登用すべき人物として「SSR級の能力を持ちながら釣りをして暮らしている在野の賢人」と「兄嫁アレしたり賄賂受け取ったりするけど能力はある畜生」との二種類が想定されている。





前者は周の文王と太公望、後者は漢の高祖劉邦と陳平らの話が強く意識されている。




どちらも「王朝の始祖と、王朝を開く功臣」の話と言える。





これを丞相自らの名の元に宣言するというのは、ある意味では潜在的な「自分も周の文王や漢の高祖のような事やろうと思うんやけど!」という宣言だったりするのかもしれない。






まあ、下種のまんぐりみたいなものかもしれんけど。