項羽は何故37564にしたのか

到新安。諸侯吏卒異時故繇使屯戍過秦中、秦中吏卒遇之多無状、及秦軍降諸侯、諸侯吏卒乘勝多奴虜使之、輕折辱秦吏卒。秦吏卒多竊言曰「章將軍等詐吾屬降諸侯、今能入關破秦、大善、即不能、諸侯虜吾屬而東、秦必盡誅吾父母妻子。」諸侯微聞其計、以告項羽項羽乃召黥布・蒲將軍計曰「秦吏卒尚衆、其心不服、至關中不聽、事必危、不如撃殺之、而獨與章邯・長史欣・都尉翳入秦。」於是楚軍夜撃阬秦卒二十餘萬人新安城南。
(『史記』巻七、項羽本紀)

ふと思ったんだが、項羽がいったんは受け入れて従軍させた秦兵を皆殺しにしたというのは、秦兵がただ扱いづらいとか怨みがあったとかいうことではなくて、「置いていくとかいったことを含めて適切に処置するだけの時間が取れそうにない」ということがあったんじゃなかろうか。




つまり、この時の項羽は大変焦っており、自分に降りかかるかもしれない悪評や後々の禍根(関中王になりたかったというなら、秦兵を虐殺するのは得策ではない)などを考慮してもなお、すぐに決着を付ける方法を選ばざるをえなかったのではないか。





この時の項羽は、劉邦に関中一番乗り、秦征服を取られないようにととにかく急いでいて、長期戦を覚悟している宋義の殺害といい、章邯に対する背水の陣といい、そしてこの新安の虐殺といい、とても危険な綱渡りや悪評が残る行動(上司の宋義殺しは悪評どころではなく謀反そのものだが)のことをしてでもとにかく劉邦の先を越そうと無理をしていたのだろう。