『史記』項羽本紀を読んでみよう:その16

その15(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180901/1535727783)の続き。





行略定秦地。函谷關有兵守關、不得入。又聞沛公已破咸陽、項羽大怒、使當陽君等撃關。項羽遂入、至于戲西。沛公軍霸上、未得與項羽相見。沛公左司馬曹無傷使人言於項羽曰「沛公欲王關中、使子嬰為相、珍寶盡有之。」項羽大怒曰「旦日饗士卒、為撃破沛公軍!」
當是時、項羽兵四十萬、在新豐鴻門、沛公兵十萬、在霸上。
范筯説項羽曰「沛公居山東時、貪於財貨、好美姫。今入關、財物無所取、婦女無所幸、此其志不在小。吾令人望其氣、皆為龍虎、成五采、此天子氣也。急撃勿失。」
(『史記』巻七、項羽本紀)

函谷関まで到達した項羽はとんでもない事実を目の当たりにする。


或説沛公曰「秦富十倍天下、地形彊。今聞章邯降項羽項羽乃號為雍王、王關中。今則來、沛公恐不得有此。可急使兵守函谷關、無内諸侯軍、稍徴關中兵以自益、距之。」沛公然其計、從之。
十一月中、項羽果率諸侯兵西、欲入關、關門閉。聞沛公已定關中、大怒、使黥布等攻破函谷關。
(『史記』巻八、高祖本紀)

劉邦は既に関中に入り、秦を落として函谷関を封鎖していたのである。



本来は劉邦にとって項羽は味方のハズだが、劉邦から見れば項羽は本来の総大将宋義を殺し、また更に関中の趨勢も定まらないうちから章邯を関中の王に立てて「関中を最初に落とした者を王とする」という楚王の約束をも無視していた無法者であるわけだから、義は自分の方にあると考えたのだろう。



計算違いだったのは、項羽が函谷関をすぐに突破した事だ。




項羽項羽で、楚以外の諸侯からも支持されていたと記されている。楚王との約束は楚の中でしか通用しないと考えたのかもしれないし、そもそも楚王の約束を守ろうと思っていなかったのかもしれない。宋義だって楚王が選んだ総大将だったのだが、項羽はそれを殺しているのだ。今更楚王との約束など気にしていないのではないか。



怒りの項羽劉邦を実力で蹴散らそうとするのだった。




項羽か、劉邦か。敵地で新たな戦火が広がろうとしていた。