『史記』陳渉世家を読んでみよう:その8

その7(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180726/1532531663)の続き。





燕故貴人豪傑謂韓廣曰「楚已立王、趙又已立王。燕雖小、亦萬乗之國也、願將軍立為燕王。」韓廣曰「廣母在趙、不可。」燕人曰「趙方西憂秦、南憂楚、其力不能禁我。且以楚之彊、不敢害趙王將相之家、趙獨安敢害將軍之家!」韓廣以為然、乃自立為燕王。居數月、趙奉燕王母及家屬歸之燕。
(『史記』巻四十八、陳渉世家)

韓広は燕で王を名乗る。




派遣した趙は趙で人質を取ってはいたのだが、結局は陳勝が趙に対してそうしたように、趙もまた燕王韓広を許し、人質も返してやって関係を維持する方を選んだのだった。




趙の見事なブーメランであった。