漢代、三国時代の「将軍」はその役目などに応じて様々な名前が付けられている。
「大将軍」とか「衛将軍」とか「征西将軍」とか、そういったものである。
そのような将軍の中の一つに、「復土将軍」という将軍がある。
ほとんど出てこない、割とレアな将軍であるが、確かにそういう将軍が存在する。
令中尉(周)亞夫為車騎將軍、屬國悍為將屯將軍、郎中令(張)武為復土將軍、發近縣見卒萬六千人、發内史卒萬五千人、藏郭穿復土屬將軍武。
(『史記』巻十、孝文本紀)
これはどういう将軍かというと、皇帝の葬儀に際して、皇帝の棺を皇帝陵に収めて埋め戻す、という事を統括する将軍なのである。
重機が存在しない時代なので、かなりの人数を動員しなければ出来ない作業である事から、統括者は「将軍」という地位を要求されたのではなかろうか。
皇帝が死んだ時にしか出てこないという事になる。出現条件が大変厳しい。
考えようによると、聖帝十字陵を完成させる役割をやらされたシュウという事だと言えない事もないだろう。