『漢書』宣帝紀を読んでみよう:その10

その9(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180213/1518447929)の続き。






地節元年春正月、有星孛于西方。
三月、假郡國貧民田。
夏六月、詔曰「蓋聞堯親九族、以和萬國。朕蒙遺徳、奉承聖業、惟念宗室屬未盡而以罪絶、若有賢材・改行・勸善、其復屬、使得自新。」
冬十一月、楚王延壽謀反、自殺。
十二月癸亥晦、日有蝕之。
(『漢書』巻八、宣帝紀

地節元年。




「宗室屬未盡而以罪絶」というのは、本来なら宗室(皇帝の一族)には徭役免除などの特権があるのだが、犯罪などによってその特権を取り上げられたという事を指している。



「屬未盡」という表現からすると、皇帝との血縁が遠くなったりすると、犯罪でなくても特権を失う事もあるという事を示唆しているようにも思われる。それは仕方ないが、犯罪などで失った場合は、その後に心を入れ替えていれば再度特権を与えるということなのだろう。




宣帝即位、延壽以為廣陵王胥武帝子、天下有變必得立、陰欲附倚輔助之、故為其后母弟趙何齊取廣陵王女為妻。與何齊謀曰「我與廣陵王相結、天下不安、發兵助之、使廣陵王立、何齊尚公主、列侯可得也。」因使何齊奉書遺廣陵王曰「願長耳目、毋後人有天下。」何齊父長年上書告之。事下有司、考驗辭服、延壽自殺。立三十二年、國除。
(『漢書』巻三十六、楚元王伝)

楚王延寿は高祖劉邦の弟である楚王劉交の子孫。武帝の子である広陵王劉胥と通じ、広陵王が皇帝になるのを願っていた事が発覚したのである。





この年は大きな動きが無い年のようだが、これは嵐の前の静けさというものである。



翌年から本気出す。