『漢書』王莽伝を読んでみよう:中その12

その11の続き。


莽曰「古者、設廬井八家、一夫一婦田百畝、什一而税、則國給民富而頌聲作。此唐虞之道、三代所遵行也。秦為無道、厚賦税以自供奉、罷民力以極欲、壞聖制、廢井田、是以兼并起、貪鄙生、強者規田以千數、弱者曾無立錐之居。又置奴婢之市、與牛馬同蘭、制於民臣、顓斷其命。姦虐之人因縁為利、至略賣人妻子、逆天心、誖人倫、繆於『天地之性人為貴』之義。書曰『予則奴戮女』、唯不用命者、然後被此辜矣。漢氏減輕田租、三十而税一、常有更賦、罷癃咸出、而豪民侵陵、分田劫假。厥名三十税一、實什税五也。父子夫婦終年耕芸、所得不足以自存。故富者犬馬餘菽粟、驕而為邪。貧者不厭糟糠、窮而為姦。倶陷于辜、刑用不錯。予前在大麓、始令天下公田口井、時則有嘉禾之祥、遭反虜逆賊且止。今更名天下田曰『王田』、奴婢曰『私屬』、皆不得賣買。其男口不盈八、而田過一井者、分餘田予九族鄰里郷黨。故無田、今當受田者、如制度。敢有非井田聖制、無法惑衆者、投諸四裔、以禦魑魅、如皇始祖考虞帝故事。」
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)

王莽は言った。「昔、九等分した田と小屋を八世帯分作り、一組の夫婦が百畝を耕し、十分の一の税を取り、そして国に必要なものは供給され、民は裕福になって称える声が起こった。これが堯舜の行った道であり、夏殷周三代が従ったことである。
秦王朝は非道なことをし、労役や税を増やして供給させて民の力を疲弊させて私欲を極め、聖人の制度を破壊し、九等分した田を廃止した。そのために豪族による兼併が起こり、強者は田を千人分も持ち、弱者は錐を立てる場所すら無いありさまだった。またその上に奴婢の売買市場を置いて牛や馬と同じ檻に置き、民を支配し、その命を自由にした。残虐な者たちはそれによって利益を得、人の妻子を誘拐して売買するに至り、天の心に背き、人の道を踏み外し、「天地の性質として人を尊んでいる」という『孝経』の言葉の意義と乖離している。『書経』に「予は汝を奴隷にする」というのは、命令に従わない者だけがその罪を受けるということである。
漢王朝は田租を軽減して三十分の一とし、更に徭役があり、みな疲弊して豪族の兼併が起こり弱者による小作と強者による収奪が行われ、名目は三十分の一でも、実際には十分の五の税がかかっているようなものであった。父子や夫婦が一年中耕作していても自活するには足りないというありさまであった。富める者は飼い犬や家畜の馬も豆や穀物を残し、驕慢になって邪悪なことを行う。貧しい者は酒粕や米糠をも避けずに食べ、追い詰められて悪事に手を染める。富める者も貧しい者も罪に陥り、刑罰が盛んに行われるのである。
予が以前宰相であった時、始めて天下の公田を井田(九等分の田)とする計算を命じたが、反逆者が現れたためにしばらく停止していた。今より天下の田を「王田」と改称し、奴婢を「私属」と改称し、どちらも自由売買を禁止する。男子の人口が八に満たず、田が井田一つ分以上ある場合には、隣接の里の親族に分与するものとする。元は田を持たず、今回田を受け取るべき者は制度通りにせよ。井田の聖なる制度を誹謗し、違法に人々を惑わした者は、四方の辺境に放逐して物の怪たちの肉の壁になってもらう。これは我が祖虞舜以来の古法である」


王莽、現状の貧富の差、豪族の兼併、貧者の奴婢化といった問題の根源を農地制度に求め、古の理想的制度とされる「井田制」復活を宣言するの巻。



下令曰「漢氏減輕田租、三十而税一、常有更賦、罷癃咸出、而豪民侵陵、分田劫假、厥名三十、實什税五也。富者驕而為邪、貧者窮而為姦、倶陷於辜、刑用不錯。今更名天下田曰王田、奴婢曰私屬、皆不得賣買。其男口不滿八、而田過一井者、分餘田與九族郷黨。」犯令、法至死、制度又不定、吏縁為姦、天下謷謷然、陷刑者衆。
(『漢書』巻二十四上、食貨志上)


誰もが予想したようにこの理想の制度は案の定という結果に終わるわけだが、「強い王朝を取り戻す」とか「民をワーキングプアや奴隷化から救い出す」といった理念で動こうとしていることは評価してもいい、のかもしれない。