『漢書』王莽伝を読んでみよう:中その4

置大司馬司允・大司徒司直・大司空司若、位皆孤卿。
更名大司農曰羲和、後更為納言、大理曰作士、太常曰秩宗、大鴻臚曰典樂、少府曰共工、水衡都尉曰予虞、與三公司卿凡九卿、分屬三公。毎一卿置大夫三人、一大夫置元士三人、凡二十七大夫、八十一元士、分主中都官諸職。
更名光祿勳曰司中、太僕曰太御、衛尉曰太衛、執金吾曰奮武、中尉曰軍正、又置大贅官、主乗輿服御物、後又典兵秩、位皆上卿、號曰六監。
改郡太守曰大尹、都尉曰太尉、縣令長曰宰、御史曰執法、公車司馬曰王路四門、長樂宮曰常樂室、未央宮曰壽成室、前殿曰王路堂、長安曰常安。
更名秩百石曰庶士、三百石曰下士、四百石曰中士、五百石曰命士、六百石曰元士、千石曰下大夫、比二千石曰中大夫、二千石曰上大夫、中二千石曰卿。車服黻冕、各有差品。
又置司恭・司徒・司明・司聰・司中大夫及誦詩工・徹膳宰、以司過。
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)

大司馬司允、大司徒司直、大司空司若を置き、みな孤卿の位とした。



大司農を羲和と改称し、後に納言と改称した。大理(廷尉)を作士と改称した。大鴻臚を典楽と改称した。少府を共工と改称した。水衡都尉を予虞と改称した。これらを三公の司卿(司允・司直・司若)と合わせて九卿とし、三公に分かれて所属した。卿一人ごとに大夫三人が置かれ、大夫一人ごとに元士三人が置かれ、全部で二十七大夫、八十一元士となり、中央政府の諸官庁を分担した。



光禄勲を司中と改称した。太僕を太御と改称した。衛尉を太衛と改称した。執金吾を奮武と改称した。中尉を軍正と改称した。また大贅の官を置き、皇帝の馬車や衣服などを司り、後に兵の秩禄も管理した。これらはみな上卿の位とし、六監と呼んだ。



郡太守を大尹と改称した。都尉を太尉と改称した。県令・県長を宰と改称した。御史を執法と改称した。公車司馬門を王路四門と改称した。長楽宮を常楽室と改称した。未央宮を寿成室と改称した。前殿を王路堂と改称した。長安を常安と改称した。



官秩百石を庶士と改称した。三百石を下士と改称した。四百石を中士と改称した。五百石を命士と改称した。六百石を元士と改称した。千石を下大夫と改称した。比二千石を中大夫と改称した。二千石を上大夫と改称した。中二千石を卿と改称した。馬車や衣服を等級で差を付けた。



また司恭・司徒・司明・司聡・司中大夫、誦詩工、徹膳宰を置き、過ちを明らかにする官とした。



王莽、王莽らしさを爆発させる。なんでも揃えてないと気が済まない感じ。




それにしても、「執金吾」って「中尉」を改称したものだったはずだが、「執金吾」を改称した「奮武」と「中尉」を改称した「軍正」が両立しているのか・・・。


漢における諸官と完全に一対一で対応しているわけではないということかもしれない*1

*1:何か記録に誤りがあるだけかもしれないが。