『漢書』王莽伝を読んでみよう:中その5

その4の続き。


策曰「予聞上聖欲昭厥徳、罔不慎修厥身、用綏于遠、是用建爾司于五事。毋隱尤、毋將虚、好惡不愆、立于厥中。於戲、勗哉!」令王路設進善之旌、非謗之木、敢諫之鼓。諫大夫四人常坐王路門受言事者。
封王氏齊縗之屬為侯、大功為伯、小功為子、緦麻為男、其女皆為任。男以「睦」、女以「隆」為號焉、皆授印韍。令諸侯立太夫人・夫人・世子、亦受印韍。
又曰「天無二日、土無二王、百王不易之道也。漢氏諸侯或稱王、至于四夷亦如之、違於古典、繆於一統。其定諸侯王之號皆稱公、及四夷僭號稱王者皆更為侯。」
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)


策書を下してこう言った。「予が聞くところでは、聖人がその徳を明らかにしようとしたときには、自身の身を慎み修めて遠くを安んじなかった者はなかった。そこで汝を貌・言・視・聴・思の五つを司る官に建てたのである。過ちを隠したり、偽りの称賛を助長したりすることのないように。良きこと、悪いことを間違えず、中庸に立つべし。ああ、大いに勉めよ!」



王城の門に善言を勧める旗、政治批判を書きつける木、諫言をする時に人を呼ぶ太鼓を設置させた。諫大夫四人を常に王城の門に座らせてそれらの進言を受け付けさせた。



王氏の中で齊縗の喪服を着るべき者は侯爵、大功の喪服は伯爵、小功の喪服は子爵、緦麻の喪服は男爵に封じ、女性は任の爵に封じた。男は「睦」、女は「隆」の字を称号に付けた、みな印綬を授けた。また諸侯に太夫人、夫人、世子を立て、それらにも印綬を授けた。



またこう言った。「天には二つの太陽は無く、地には二人の王は無い。これは太古から変わらぬ道である。漢王朝の諸侯には「王」を名乗る者がおり、四方の蛮族さえもそうであったが、これは古の制度と違っており、統一されるべきという理想からかけはなれている。諸侯王の号を「公」と称するようにせよ。四方の蛮族で「王」を僭称する者はみな「侯」とせよ」



王莽、王号を廃止。




漢では諸侯王以外にも異民族に「王」号を認めている場合があった。



諸侯を五等爵のみとすると同時にこの異民族の王を廃止するという、やっぱり王莽らしい統一感あふれる措置であるが、まあ当然反発もある。


王莽簒位、改漢制、貶鉤町王以為侯。王邯怨恨、牂柯大尹周欽詐殺邯。邯弟承攻殺欽、州郡撃之、不能服。
(『漢書』巻九十五、西南夷伝)


西南夷の鉤町王などがそれに当たるが、このような反発ではもっとデカいのがこの後に控えているので、その時を楽しみに待とう。