『漢書』王莽伝を読んでみよう:上その38

その37の続き。



臣聞古者畔逆之國、既以誅討、則豬其宮室以為汙池、納垢濁焉,名曰凶虚、雖生菜茹、而人不食。四牆其社、覆上棧下、示不得通。辨社諸侯、出門見之、著以為戒。方今天下聞崇之反也、咸欲騫衣手劍而叱之。其先至者、則拂其頸、衝其匈、刃其軀、切其肌。後至者、欲撥其門、仆其牆、夷其屋、焚其器、應聲滌地、則時成創。而宗室尤甚、言必切齒焉。何則?以其背畔恩義、而不知重徳之所在也。宗室所居或遠、嘉幸得先聞、不勝憤憤之願、願為宗室倡始、父子兄弟負籠荷鍤、馳之南陽、豬崇宮室、令如古制。及崇社宜如亳社、以賜諸侯、用永監戒。願下四輔公卿大夫議、以明好惡、視四方。
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)

私めが聞いたところでは、古の反逆した国が誅討されると、その宮殿は汚水で浸して汚水の溜池とし、汚れを溜めこんで「凶虚」と名付け、そこに生えた野菜も人は食べませんでした。またその国の社は四方を壁で固め、上は覆いをかけて下には簀子を敷いて陰陽の気が通じさせないことを示し、その社を諸侯に与え、門を出る時に見せるようにして戒めとしました。
今、劉崇の反乱を聞くと、皆衣をかかげ、剣を手にしてそれを責めようとしました。先に至った者は首を曲げ、胸を突き、体に刃を入れ、肌を切りました。後から至った者は、門を跳ね飛ばし、壁を倒し、家を破壊し、家具を焼こうとし、号令に応じて地面を洗い流し、傷を作ろうとしました。
宗室でありながらこのように酷いことになり、歯ぎしりしているというのはなぜでしょうか。恩義に背き、重んじるべき徳のあるところを知らないでいたからです。
宗室は遠くにいる者もおりますが、わたくしは先んじてそのことを聞くことが出来たので、憤って宗室の先駆けになることを願い、親子兄弟で荷を背負い鍬を持って南陽へ赴いております。劉崇の宮殿を汚水の溜池に変えて古の制度と同じようにさせるべきです。また劉崇の社は殷の社のようにして諸侯に下賜し、とこしえに戒めとなるようにいたしましょう。
願わくば、四輔や三公、九卿らの集議に付し、良い事と悪い事を四方へ示さんことを。




反乱者劉崇の住まいを古式ゆかしいやり方で汚しましょう、という提案。これを戒めとして他の者に示す、ということだそうだ。




これを(形式上)言い出しているのが反乱者劉崇の親族である劉嘉だというのはなかなかすさまじい話だが、本家である安衆侯当主がやらかした以上、一族の他の者の生き残りのためには仕方ないところもあっただろう。




国の社をうんぬんっていうのは、周が殷の社に対して施した措置であるらしい。