『漢書』文帝紀を読んでみよう:その4

その3(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20171001/1506784178)の続き。




正月、有司請蚤建太子、所以尊宗廟也。
詔曰「朕既不徳、上帝神明未歆饗也、天下人民未有㥦志。今縱不能博求天下賢聖有徳之人而嬗天下焉、而曰豫建太子、是重吾不徳也。謂天下何?其安之。」有司曰「豫建太子、所以重宗廟社稷、不忘天下也。」上曰「楚王、季父也、春秋高、閱天下之義理多矣、明於國家之體。呉王於朕、兄也。淮南王、弟也。皆秉徳以陪朕、豈為不豫哉!諸侯王宗室昆弟有功臣、多賢及有徳義者、若舉有紱以陪朕之不能終、是社稷之靈、天下之福也。今不選舉焉、而曰必子、人其以朕為忘賢有徳者而專於子、非所以憂天下也。朕甚不取。」有司固請曰「古者殷周有國、治安皆且千歳、有天下者莫長焉、用此道也。立嗣必子、所從來遠矣。高帝始平天下、建諸侯、為帝者太祖。諸侯王列侯始受國者亦皆為其國祖。子孫繼嗣、世世不絶、天下之大義也。故高帝設之以撫海内。今釋宜建而更選於諸侯宗室、非高帝之志也。更議不宜、子啟最長、敦厚慈仁、請建以為太子。」上乃許之。
因賜天下民當為父後者爵一級。
封將軍薄昭為軹侯。
三月、有司請立皇后。皇太后曰「立太子母竇氏為皇后。」
詔曰「方春和時、草木羣生之物皆有以自樂、而吾百姓鰥寡孤獨窮困之人或阽於死亡、而莫之省憂。為民父母將何如?其議所以振貸之。」又曰「老者非帛不煖、非肉不飽。今歳首、不時使人存問長老、又無布帛酒肉之賜、將何以佐天下子孫孝養其親?今聞吏稟當受鬻者、或以陳粟、豈稱養老之意哉!具為令。」有司請令縣道、年八十已上、賜米人月一石、肉二十斤、酒五斗。其九十已上、又賜帛人二疋、絮三斤。賜物及當稟鬻米者、長吏閱視、丞若尉致。不滿九十、嗇夫・令史致。二千石遣都吏循行、不稱者督之。刑者及有罪耐以上、不用此令。
楚元王交薨。
(『漢書』巻四、文帝紀

文帝は嫌よ嫌よと言いながら結局は自分の息子を皇太子にすることに同意する。



まあ、文帝の本意が何であれ、皇帝が子に地位を継がせる事を前提にした制度だったので、息子を皇太子に立てないわけにもいかないだろう。



ただ、まだ幼児といってもいい年齢だったはずの皇子を皇太子にするというのは多少性急な感じも無いでもないか。




また、その皇太子の実母が皇后に立てられた。側室だったわけだから大出世である。正妻の子たちが次々謎の自然死しなければありえなかったミラクルと言えよう。




また、八十歳以上の高齢者に対する特別な養老規定が整備された。当時の八十歳以上は相当な高齢ということであるから、現代人ほど多数いたわけではないだろう。



正月、有司言曰「蚤建太子、所以尊宗廟。請立太子。」上曰「朕既不徳、上帝神明未歆享、天下人民未有嗛志。今縱不能博求天下賢聖有徳之人而禪天下焉、而曰豫建太子、是重吾不徳也。謂天下何?其安之。」有司曰「豫建太子、所以重宗廟社稷、不忘天下也。」上曰「楚王、季父也、春秋高、閱天下之義理多矣、明於國家之大體。呉王於朕、兄也、惠仁以好徳。淮南王、弟也、秉徳以陪朕。豈為不豫哉!諸侯王宗室昆弟有功臣、多賢及有徳義者、若舉有徳以陪朕之不能終、是社稷之靈、天下之福也。今不選舉焉、而曰必子、人其以朕為忘賢有徳者而專於子、非所以憂天下也。朕甚不取也。」有司皆固請曰「古者殷周有國、治安皆千餘歳、古之有天下者莫長焉、用此道也。立嗣必子、所從來遠矣。高帝親率士大夫、始平天下、建諸侯、為帝者太祖。諸侯王及列侯始受國者皆亦為其國祖。子孫繼嗣、世世弗絶、天下之大義也、故高帝設之以撫海内。今釋宜建而更選於諸侯及宗室、非高帝之志也。更議不宜。子某最長、純厚慈仁、請建以為太子。」上乃許之。
因賜天下民當代父後者爵各一級。
封將軍薄昭為軹侯。
三月、有司請立皇后。薄太后曰「諸侯皆同姓、立太子母為皇后。」皇后姓竇氏。
上為立后故、賜天下寡孤獨窮困及年八十已上孤兒九歳已下布帛米肉各有數。
(『史記』巻十、孝文本紀)

史記』もそう大きくは変わらないが、高齢者優遇のあたりが少々簡略である。