『漢書』王莽伝を読んでみよう:上その28

その27の続き。


五年正月、祫祭明堂、諸侯王二十八人、列侯百二十人、宗室子九百餘人、徴助祭。禮畢、封孝宣曾孫信等三十六人為列侯、餘皆益戸賜爵、金帛之賞各有數。
是時、吏民以莽不受新野田而上書者前後四十八萬七千五百七十二人、及諸侯王・公・列侯・宗室見者皆叩頭言、宜亟加賞於安漢公。
於是莽上書曰「臣以外屬、越次備位、未能奉稱。伏念聖徳純茂、承天當古、制禮以治民、作樂以移風、四海奔走、百蠻並轃、辭去之日、莫不隕涕。非有款誠、豈可虚致?自諸侯王已下至於吏民、咸知臣莽上與陛下有葭莩之故、又得典職、毎歸功列徳者、輒以臣莽為餘言。臣見諸侯面言事於前者、未嘗不流汗而慙愧也。雖性愚鄙、至誠自知、徳薄位尊、力少任大、夙夜悼栗、常恐汚辱聖朝。今天下治平、風俗齊同、百蠻率服、皆陛下聖徳所自躬親、太師光・太保舜等輔政佐治、羣卿大夫莫不忠良、故能以五年之間至致此焉。臣莽實無奇策異謀。奉承太后聖詔、宣之于下、不能得什一。受羣賢之籌畫、而上以聞、不能得什伍。當被無益之辜、所以敢且保首領須臾者、誠上休陛下餘光、而下依羣公之故也。陛下不忍衆言、輒下其章於議者。臣莽前欲立奏止、恐其遂不肯止。今大禮已行、助祭者畢辭、不勝至願、願諸章下議者皆寢勿上、使臣莽得盡力畢制禮作樂事。事成、以傳示天下、與海内平之。即有所間非、則臣莽當被詿上誤朝之罪。如無他譴、得全命賜骸骨歸家、避賢者路、是臣之私願也。惟陛下哀憐財幸!」
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)

元始五年正月、明堂で漢の祖先を祭り、諸侯王二十八人、列侯百二十人、宗室(劉氏)の子九百人以上を召集して祭祀を助けさせた。祭祀が終わると、宣帝の曾孫劉信ら三十六人を列侯とし、他の者も戸数、爵位、または金品を与えた。



この時、官吏や民の中で王莽が新野の農地を受け取らなかったことについて上奏するものが全部で四十八万七千五百七十二人いた。また諸侯王、公、列侯、宗室のその場にいた者も地に額をこすり付けて、すみやかに安漢公に恩賞を与えるべきであると言上した。


そこで王莽は上奏した。「私は外戚であるために本来の地位を超えて今の地位につきましたが、いまだその職を全うしているとは言えません。思いますに陛下の聖なる徳が混じり気なく栄え、天の意思を受けて上古に則り礼制を定めて民を治め、音楽を作って全国を教化し、四海の内はみな争って集まり、蛮族たちも揃って入朝し、帰国の際に涙を流さぬ者はおりませんでした。真心がなければ、どうして損得抜きで来ようと思うでしょうか。諸侯王から官吏や民に至るまで、みな私が太后陛下と血縁関係があることを知って、また職に就いている者で功績と徳を述べる者は、みな私めに対し過分の言葉を述べています。私めは諸侯らの面前で政治の事を述べる際に冷や汗を流して恥ずかしく思わないことはないのです。卑しい私めといえども本当の誠実さはわかっておりますので、徳が足りないのに地位は高く、実力が無いのに責任は重大であるため、日夜恐れおののき、偉大なる朝廷の威光に傷を付けるのではないかと案じております。今、天下は治まり、全国の気風は一つとなり、蛮族たちもみな心服しておりますのは、すべて陛下ご自身の聖なる人徳のなせるところであり、また太師孔光・太保王舜が補佐し、大臣たちもみな忠実で有能な者たちであるので、五年にしてこのようになったのです。私めは何の特別な策も無く、皇太后の詔を下すばかりで、十分の一も寄与しておりません。また大臣たちの献策を受け取って報告するばかりで、半分も寄与しておりません。全くもって、無益であるとの責めを受けてしかるべきところであり、しばらくの間首を保っていられるのは、ひとえに上は陛下の威光のおこぼれに預かり、下は賢臣たちの支えがあってのことです。陛下は多くの者たちの言葉を無視するに忍びなく、その案を検討させております。私はそれを止めようと思いますが、阻止することができないのではないかと心配しております。今、祭礼を終わらせ、参加者たちも辞去するに至ることが私の最大の願いです。私めに祭礼を終わらせ礼制を作ることに専念させ、それが終わったら完成した制度を天下に触れ回らせて意見を求めていただきたい。もし誤りがあれば、私めは朝廷を誤らせた罪を受けるべきです。もし誤りがなければ、生命を全うして辞職し、本物の賢者のために地位を開けたいと思います。それこそが私の願いです。陛下には私めを憐れんでもらえれば幸いでございます」


またいつもの辞退祭りか、と言うなかれ。



これはどちらかというと「もう辞めたいと思います」と宣言した上で、周囲から「お前さんがいてくれないと困るんや!もっと地位や権限やるから残ってくれ!」と言わせるテクニックなのではなかろうか。




それにして、四十八万七千五百七十二人は流石に盛りすぎぞなもし。