唐突だが、前漢末期の朝廷のキーワードの一つとも言えるのが「外戚王氏」であったと思う。
つまり王莽とその一族たちである。
前漢の末期や新王朝の事を考えるなら、この王氏のことを十分に把握することが必要なのではないか、と思う。
ということで、この「外戚王氏」(魏郡元城県の王氏)について、世代ごとに少しずつ確認していこうと思う。
まずはこの王氏の始まり「元后」こと元帝王皇后とその同世代から、ごくごく簡単かつ適当に紹介しておく。
なお、全員を載せているわけではなく、重要と思われない人物は省いている。
元帝の皇太子時代の側室で後の成帝を生んだ。『漢書』では「元后」と表記されることがある。
成帝の皇太后となり、兄弟や甥たちが多数朝臣や権力者となった。
長生きして最終的には王莽による禅譲にも居合わせることになる。
- 王鳳
王皇后の兄。成帝即位と共に大司馬大将軍領尚書事という霍光と同じ官を与えられた。
朝廷を牛耳る権力者で、成帝自身も彼に遠慮していた。
- 王曼
王皇后の弟。王莽の法律上の父。
早死にしたために王鳳ら兄弟の中で唯一列侯になれなかった。
- 王譚
王皇后の弟。王鳳が死ぬとき、その地位は弟の彼が引き継ぐものと思われていたが、王鳳は従弟の王音を敢えて後継に指名。傲慢な性格が嫌われたと言われる。
ついに執政の地位を得ることなく死去。
- 王商
王皇后の弟。王音の地位を継ぐ。
死ぬ間際に大将軍の地位を与えられたため、前漢では数少ない大将軍就任者となった。
- 王立
王皇后の弟。
汚職事件の嫌疑により失脚し、王商の後継となれなかった。
なお彼の領国の紅陽侯国は南陽郡にあり、子や孫は光武帝とも縁があった。
- 王根
王皇后の弟。
王立失脚により、王商の地位を継いだ。
引退の際に自分の地位を王莽に継がせた。
- 王逢時
王皇后の弟。
列侯にはなれたが能力に劣り、しかも早死にした。
王譚・王商・王立・王根・王逢時の五人は同時に列侯に封じられたため、「五侯」と呼ばれる。
この「五侯」はお互いに仲が悪く、贅沢さを張り合ったりした挙句に臣下のレベルを超えてしまい成帝の怒りを買ったこともあった。
- 王音
王皇后の従弟。
先に書いたように王鳳によって後継指名され、御史大夫(副宰相)から執政職となった。
王鳳の弟たちを飛び越えたために皇帝と弟たち(五侯)の間に挟まれて大変だったろうと思われる。
謹厳実直な性格だったといい、そこが王鳳に気に入られたらしい。
この王氏第一世代は成帝の伯父(叔父)として権勢を誇り、その一方で官僚や儒者などの一部からは嫌われ、時には排斥しようとする動きも起こった。
そして成帝の養子となった、言い換えると王氏と血縁関係が無い哀帝が皇帝になると、王氏の権勢はいったんしぼんでいく。
第二世代へ続く。