董卓聞(袁)紹起山東、乃誅紹叔父隗及宗族在京師者、盡滅之。
【注】
獻帝春秋曰「太傅袁隗、太僕袁基、術之母兄、卓使司隸宣璠盡口收之、母及姉妹嬰孩以上五十餘人下獄死。」
卓別傳曰「悉埋青城門外東都門内、而加書焉。又恐有盜取者、復以屍送郿藏之。」
(『後漢書』列伝第六十四上、袁紹伝上)
袁紹が挙兵して董卓に刃向かうと、董卓は都洛陽にいた袁紹の親族、叔父の袁隗その他五十人以上を捕えて死なせたという。
董卓から見ると袁紹は謀反者で、その親族は連座の対象なのだからある意味では当然とも言える処置ではある。
大官も含めて多数が犠牲になったというのは、袁氏が多数の中央官僚を輩出していたという証拠でもあるだろう。
ところで、同じ時期に挙兵したというと曹操もいる。
曹操の親族も、実のところ中央の高官を何人か輩出しているのはまず間違いないので、袁紹の親族ほどではないにしても、董卓に捕まって惨い運命に遭った人も少なくなかったのではないのかなあ・・・、とふと思った。