馮夫人の受難

列異傳曰、漢桓帝馮夫人病亡、靈帝時、有賊盜發冢、七十餘年、顔色如故、但小冷。共姦通之、至鬥争相殺。
太后家被誅、欲以馮夫人配食、下邳陳公達議、以貴人雖是先所幸、尸體穢汙、不宜配至尊。乃以竇太后配食。
(『芸文類聚』巻三十五、淫)


以前にも全く同じ内容を書いた可能性もあるが、記事が見つからないのでとりあえず書いておく。




後漢桓帝の寵姫であった馮夫人が死去して埋葬されたが、その後、彼女の墳墓を盗掘した者が彼女の棺で見たのは、数十年が経過している死体なのにあたかも生きているかのような肢体であった。



そこで「したい」と思った盗掘者たちは順番争いで殺し合ったという。




その後、霊帝桓帝の正妻扱いすべき妻妾を誰にするか決める際に件の馮夫人が候補に挙がったが、その事件を理由に反対する者がいたために取りやめとなった、のだそうだ。





馮夫人は死んでから遭った苦難が理不尽すぎる。