孫呉兵法

立秋之日、白郊禮畢、始揚威武、斬牲於郊東門、以薦陵廟。其儀、乘輿御戎路、白馬朱鬣、躬執弩射牲。牲以鹿麛。太宰令・謁者各一人、載以獲車、馳送陵廟。於是乘輿還宮、遣使者齎束帛以賜武官。
武官肄兵、習戰陣之儀、斬牲之禮、名曰貙劉。兵・官皆肄孫・呉兵法六十四陣、名曰乘之。
立春、遣使者齎束帛以賜文官。貙劉之禮、祠先虞、執事告先虞已、烹鮮時、有司告、乃逡巡射牲。獲車畢、有司告事畢。
(『続漢書』志第五、礼儀志中、貙劉)

自分でも実は詳しくわかっているわけではないのだが、後漢の記録では、中央における儀式の中で、立秋の時に生贄を屠り皇帝廟や虞に対して奉じるといったことと合わせ、兵たちに「孫呉兵法六十四陣」を習わせるというものがあったそうな。





漢代の軍制というのは孫子呉子に基づく陣形を一応は体系化して将兵に習わせていた、ということなのかな。


もっとも、今回引用したのは儀式なので、実戦レベルでも「孫呉兵法」が同じように使われていたのかどうかはここからはわからない。