その華麗なる系図、あるいは時空の歪み

及六卿分晉、竇氏遂居平陽。鳴犢生仲、仲生臨、臨生亶、亶生陽、陽生庚、庚生誦、二子、世・扈。世生嬰、漢丞相魏其侯也。扈二子、經・充。經、秦大將軍、生甫、漢孝文皇后之兄也。
(『新唐書』巻七十一下、宰相世系表下、竇氏)

魏其侯竇嬰者、孝文后從兄子也。父世觀津人。
【注】
索隠、案、地理志觀津縣屬信都。以言其累葉在觀津、故云「父世」也。
(『史記』巻一百七、魏其武安侯列伝)


新唐書』宰相世系表によると、前漢武帝の時の丞相竇嬰は、「竇世」なる人物の子であるとする。



だが、『史記索隠』によると、「父世觀津人」とは「言其累葉在觀津」つまり「父まで代々観津に住んでいた」といった意味であるらしい。「世」は名ではなく「代々」の意味という事だ。



つまり『史記索隠』の解釈では竇嬰の父の名は不明であり、少なくとも「竇世」であるとは言っていない。





しかも、「孝文后從兄子」なので、竇嬰は文帝の皇后竇氏の従兄の子という事になる。



しかし、『新唐書』の方を見ると、文帝の皇后竇氏は「竇世」の兄弟である「竇扈」の子である「竇経」の子、という事になる。


つまり竇嬰より下の世代になる。これでは文帝の皇后竇氏の方が「竇嬰の従兄弟の子」になってしまう。



また「竇扈」の子の「竇経」(文帝の皇后竇氏の父という事になる)が秦の大将軍という何だかヤングジャンプに出てきそうな地位なのに、漢の武帝の時の人である竇嬰は「竇扈」の甥だという事になる。


「竇経」が「秦の大将軍」というなら、その父「竇扈」や「竇扈」の兄弟とされる「竇世」は秦始皇以前の人だろう。だがその「竇世」なる者の子とされる竇嬰は秦が滅んでから60年とか経っている武帝の時の丞相である。


流石にちょっと考えにくい年齢差ではなかろうか。絶対にありえないとまでは言えないにしろ、時空が歪んでいて少々自然な感じに欠ける系図である(婉曲)。




つまり、竇氏の系図のこの部分、なんだかおかしくないか?という事だ。