濡らした穀物

及獻帝初平中、董卓乃更鑄小錢、由是貨輕而物貴、穀一斛至錢數百萬。
至魏武為相、於是罷之、還用五銖。是時不鑄錢既久、貨本不多、又更無筯益、故穀賤無已。
及黄初二年、魏文帝罷五銖錢、使百姓以穀帛為市。
至明帝世、錢廢穀用既久、人間巧偽漸多、競溼穀以要利、作薄絹以為市、雖處以嚴刑而不能禁也。
司馬芝等舉朝大議、以為用錢非徒豐國、亦所以省刑。今若更鑄五銖錢、則國豐刑省、於事為便。魏明帝乃更立五銖錢、至晉用之、不聞有所改創。
(『晋書』巻二十六、食貨志)

漢の献帝の時、かの董卓は「小銭」を作った。そのため貨幣に対し物価が高騰した。



武帝曹操は小銭を廃止してそれまでの五銖銭を復活させたが、五銖銭の鋳造を長いことしていなかったために貨幣不足という事態を生じたため、今度は穀物価格の下落を生んだ。銭を得るために大量の穀物との交換が必要だったということだろう。



文帝曹丕の時には五銖銭を廃止し、人々には穀物や反物で物々交換させるようにした。



だが烈祖様の時代になり、濡らした穀物や薄い反物で利ザヤを稼ぐ*1不正行為が横行し、厳罰で禁じても止められなかった。



そこで司馬芝らは「銭は国を豐かにするばかりではなく、刑罰を減らすこともできる」ということを主張し、烈祖様もそれに従って五銖銭を復活して晋に至る。






この経緯や司馬芝の進言について『三国志』に載っていたかどうかよくわからなかったのでメモしておく。

*1:穀物の重さで交換レートを決めていたために、濡らすことで実際の穀物量より重くなり、誤魔化すことができたということだろう。【追記】重さではなく、枡で量っていたために穀物をふやかして容積を誤魔化したということではないかというご指摘をいただいた。確かに容積を誤魔化すのが正しいように思う。