衛青の人物眼

乃為衛將軍舍人、與田仁會、倶為舍人、居門下、同心相愛。此二人家貧、無錢用以事將軍家監、家監使養惡齧馬。両人同牀臥、仁竊言曰「不知人哉家監也!」任安曰「將軍尚不知人、何乃家監也!」
(『史記』巻一百四、田叔列伝)

於是趙禹悉召衛將軍舍人百餘人、以次問之、得田仁・任安、曰「獨此両人可耳、餘無可用者。」衛將軍見此両人貧、意不平。
(『史記』巻一百四、田叔列伝)

昨日の記事では本筋から離れていたことだったので特別には触れないでいたが、任安(と田仁)が身を寄せていた「衛将軍」というのは有名な衛青のことである。



(衛)青為侯家人、少時歸其父、其父使牧羊。先母之子皆奴畜之、不以為兄弟數。青嘗從入至甘泉居室、有一鉗徒相青曰「貴人也、官至封侯。」青笑曰「人奴之生、得毋笞罵即足矣、安得封侯事乎!」
(『史記』巻一百十一、衛将軍驃騎列伝)

衛青というと私生児として生まれ、父の家では奴婢として扱われるという任安以上の貧しい身の上だったのだが、姉が武帝の寵姫となったことで高貴な身分になった、という人物であった。





そんな人物が高貴になってからは人一倍貧者を蔑んでいて人を見る目が曇っているという構図は、なんというかこう複雑な気持ちになる。