『晋書』武帝紀を読んでみよう:その24

その23(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/10/18/000100)の続き。





十年春正月辛亥、帝耕于藉田。
閏月癸酉、太傅・壽光公鄭沖薨。
己卯、高陽王珪薨。
庚辰、太原王瓌薨。
丁亥、詔曰「嫡庶之別、所以辨上下、明貴賤。而近世以來、多皆内寵、登妃后之職、亂尊卑之序。自今以後、皆不得登用妾媵以為嫡正。」
二月、分幽州五郡置平州。
三月癸亥、日有蝕之。
夏四月己未、太尉・臨淮公荀顗薨。
六月癸巳、臨聽訟觀録囚徒、多所原遣。
是夏、大蝗。
(『晋書』巻三、武帝紀)

泰始10年前半。



「妾を正嫡にする事を禁じる」という命令が出される。正妻が死んだ後の場合にどうするのか分からないが、正妻を廃して側室を正妻にするような行為の事は禁止という事か。




涼州益州に続いて、今度は幽州も細分化。


「平州」は王莽や遼東公孫氏も使った由緒正しい州名である。