韓寿の評価

(賈)謐字長深。母賈午、充少女也。父韓壽、字徳真、南陽堵陽人、魏司徒暨曾孫。美姿貌、善容止、賈充辟為司空掾。
充毎讌賓僚、其女輒於青璅中窺之、見壽而悦焉。問其左右識此人不、有一婢説壽姓字、云是故主人。女大感想、發於寤寐。婢後往壽家、具説女意、并言其女光麗艷逸、端美絶倫。壽聞而心動、便令為通殷勤。婢以白女、女遂潛修音好、厚相贈結、呼壽夕入。壽勁捷過人、踰垣而至、家中莫知、惟充覺其女悦暢異於常日。
(『晋書』巻四十、賈謐伝)


賈充の孫賈謐。彼の父は魏の三公韓暨の曽孫である韓寿。彼と賈充の娘賈午(あの賈皇后の妹)は賈充宅で逢引を繰り返していた(後に発覚して結婚する事になった)。


晉諸公贊曰、自(韓)暨已下、世治素業、壽能敦尚家風、性尤忠厚。早歴清職、惠帝踐阼、為散騎常侍、遷守河南尹。病卒、贈驃騎將軍。壽妻賈充女。充無後、以壽子謐為嗣、弱冠為祕書監侍中、性驕佚而才出衆。少子蔚、亦有器望、並為趙王倫所誅。韓氏遂滅。
(『三国志』巻二十四、韓暨伝注引『晋諸公賛』)

そんな韓寿だが、『晋諸公賛』によると「能敦尚家風、性尤忠厚」だったのだそうだ。




当時の上司の娘と密かに逢引してたけど「忠厚」でいいんですかね・・・?それが「家風」なんですかね・・・?


それとも「性」ってのは性質じゃなくて性欲の意味ですかね?




賈充・賈皇后の圧力で作られた評とかだったんだろうか。