星が落ちた後で

蜀後主建興十三年、諸葛亮帥大衆伐魏、屯于渭南。有長星赤而芒角、自東北西南流、投亮營、三投再還、往大還小。占曰「両軍相當、有大流星來走軍上及墜軍中者、皆破敗之徴也。」九月、亮卒于軍、焚營而退、羣帥交怨、多相誅殘。
(『晋書』巻十三、天文志下、星流隕)


諸葛亮司馬懿が対峙している時に流星が諸葛亮の方へ流れ落ちた。




当時の星占いによれば星が堕ちた方の軍は敗れ去るという兆候だという。




果たして諸葛亮は陣没し陣を焼いて退却、率いていた諸軍の間ではいがみ合いが起こり、誅殺が多数起こった、ということである。





思うにこれはあの魏延楊儀の話などを言っているのだろうが、「羣帥交怨、多相誅殘」と諸葛亮亡きあとの蜀漢軍を評するのはどこか新鮮な気がする。気がするだけかもしれないが。