昨日の記事の最後の部分を読んで「おかしいやろ、それじゃ曹叡の生年は建安八年(紀元203年)になる。鄴が陥落すらしてないゾ」と思った人もいるだろう。
確かにそうだ。
だが、こんな記事もあるのである。
明皇帝諱叡、字元仲、文帝太子也。生而太祖愛之、常令在左右。年十五、封武徳侯、黄初二年為齊公、三年為平原王。
(『三国志』巻三、明帝紀)
魏の明帝曹叡様は十五歳にして武徳侯になった。
吉茂は建安二十二年かそれ以前に武徳侯の庶子(官名)になった。
この二点について、一応ギリギリありうる範囲でできるだけ曹叡様が若くなるように考えると、建安二十二年に十五歳で武徳侯になった、とみなすしかない。
この場合、曹叡様の生年は・・・あれあれ〜、建安八年になるよ〜?やっぱり曹叡様って203年生まれなんじゃないかな〜?(声:高山みなみ)*1