景初三年正月

(景初)三年春正月丁亥、太尉宣王還至河内、帝驛馬召到、引入臥内、執其手謂曰「吾疾甚、以後事屬君、君其與爽輔少子。吾得見君、無所恨!」宣王頓首流涕。即日帝崩于嘉福殿、時年三十六。
(『三国志』巻三、明帝紀

魏の明帝曹叡様は景初三年正月一日に死去したという。





だが前日の記事にあったように、この時の正月は「建丑の月」、すなわちそれまでは十二月とされていた月である。




そして、すぐあとにその暦は放棄されてまた漢代以来の暦に戻され、「正月」だった月は十二月に戻されている。




さて、曹叡様は三十六歳で死去したと書かれているわけだが、これは死去当時の暦における年齢なのだろうか。


それとも、後から死去当時が実際には前年(景初二年)十二月であると逆算しての三十六歳という可能性もありうるのだろうか。





後者だとすると、曹叡様の生年は通常言われているよりも更に一年前に繰り上がることになるわけだが。

そうだったら面白いなあ。