兄を飛び越して相続する弟

英雄記曰、(曹)純字子和。年十四而喪父、與同産兄仁別居。承父業、富於財、僮僕人客以百數、純綱紀督御、不失其理、郷里咸以為能。好學問、敬愛學士、學士多歸焉、由是為遠近所稱。年十八、為黄門侍郎。二十、從太祖到襄邑募兵、遂常從征戰。
(『三国志』巻九、曹仁伝注引『英雄記』)


曹仁の弟の曹純は十四歳で父を失った後、兄の曹仁とは別のところで暮らし、曹純の方が父の財産や農地を受け継いだようだ。





曹仁と曹純は「同産」と書かれており、これは多くの場合「同じ母から生まれた兄弟」のことのようなので、この二人は父母が同じとみていいだろう。





つまり曹仁は庶兄でもないのに十四歳の弟に家の相続権を奪われた形になるのである。






これについては骨肉の争い的なものを想定することもできるだろうが、下記の記事のようなことが最も影響していたのではないかと思う。


(曹)仁少時不脩行檢、及長為將、嚴整奉法令、常置科於左右、案以從事。
(『三国志』巻九、曹仁伝)


曹仁は若い頃は品行が良くなかったそうなのだ。



思うに、曹仁は若い頃に家を出て何かあまり評判の良くないことをしていたのではなかろうか。



廃嫡が父自身によるものか、それとも父の死を契機に親族間で決められたことなのかはわからないが、そんな不良息子に家を継がせて潰れてしまうことへの懸念から品行方正な弟に継がせることとなった、というところだろう。





昨日の記事のような爵位と今回の財産ではいっしょくたにはできないことではあるが、この時代でも無条件に常に長男に相続されることが絶対視されていたわけでもない、ということは確認できると思う。