兄より先に相続する弟

(呂)蒙子霸襲爵、與守冢三百家、復田五十頃。霸卒、兄蒴襲侯。蒴卒、弟睦嗣。
(『三国志』巻五十四、呂蒙伝)

呉の呂蒙のが死ぬと爵位は息子の呂覇が継いだ。



だが呂覇も死ぬと、爵位は彼の兄である呂蒴が継いだ。





弟から兄へと継承されるというのは変則的に見えるが、これってたぶん呂覇が嫡子で呂蒴は庶子ということだったんだろうなあ。



庶子扱いされると兄(長子)であっても相続人になれず、嫡子の弟が継ぐというのが普通だったということだろう。



彼らの場合後から相続人になれたのは、たぶん嫡子がいなくなっていたということだと思う。