愚民

大軍南征還、以温恢為揚州刺史、(蔣)濟為別駕。令曰「季子為臣、呉宜有君。今君還州、吾無憂矣。」
民有誣告濟為謀叛主率者、太祖聞之、指前令與左將軍于禁・沛相封仁等曰「蔣濟寧有此事!有此事、吾為 不知人也。此必愚民樂亂、妄引之耳。」促理出之。辟為丞相主簿西曹屬。
(『三国志』巻十四、蒋済伝)

三国時代の蒋済は、温恢が揚州刺史になると別駕に招かれた。



だがその後、蒋済が謀反を企んでいるという密告をする民がいたという。



曹操はそれに対して左将軍の于禁や沛相封仁に対してこう言った。



「蒋済がこのようなことをするものか。このようなことがあったとしたら、私は人を見る目が無いということだ。これは必ずや愚民どもが乱を好んで名前を挙げただけであろう」







曹操が語った相手の于禁というのはまあいいが、沛相封仁というのはちょっとひっかかる。



沛国は予州のはずなので、蒋済のいる揚州ではない。




ということは、おそらくだがこの密告をした者は沛国の人間か、あるいは沛国へ駆け込んだということだろう。



というか、曹操の言う「愚民」というのは沛国で乱を企んでいた連中のことだったのではなかろうか。





なお曹操の出身・・・。