『後漢書』孝献帝紀を読んでみよう:その30

その29(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/06/03/000100)の続き。





十一年春正月、有星孛于北斗。
三月、曹操破高幹於并州、獲之。
秋七月、武威太守張猛殺雍州刺史邯鄲商。
是歳、立故琅邪王容子熙為琅邪王。
齊・北海・阜陵・下邳・常山・甘陵・濟北・平原八國皆除。
(『後漢書』紀第九、孝献帝紀)

建安11年。



曹操、高幹を破る。



この時の雍州刺史は河西回廊の郡を統括したという事なので、刺史邯鄲商は管内の太守に殺されたという事である。



ただし、殺されたのはこの年ではないという話もある


初、邈至長安、盛稱東郡太守曹操忠誠於帝、操以此徳於邈。建安十一年、復立容子熙為王。
(『後漢書』列伝第三十二、琅邪孝王京伝)


今回新たに琅邪王となった劉熙の叔父である劉邈は、曹操の事を盛んに褒めたたえた事があったという。時期としては献帝長安時代。


一度は断絶していた琅邪王が復活したのは、曹操による一種の「論功行賞」だったのだろうか。



その一方、この時に廃された王たちは、青州方面が多い。袁氏に与した事が最大の理由かもしれない。




ちなみに、曹操は烏丸との戦いを控えている。