蜀における劉禅評2

司空張華問之曰「安樂公何如?」(李)密曰「可次齊桓。」華問其故、對曰「齊桓得管仲而霸、用豎刁而蟲流。安樂公得諸葛亮而抗魏、任黄皓而喪國、是知成敗一也。」次問「孔明言教何碎?」密曰「昔舜・禹・皋陶相與語、故得簡雅。大誥與凡人言、宜碎。孔明與言者無己敵、言教是以碎耳。」華善之。
(『晋書』巻八十八、孝友伝、李密)

犍為郡の人、すなわち蜀の人であった李密は、司空張華に「安楽公(劉禅)はどんな人物であろうか?」と訊かれ、それに対して「斉の桓公に次ぐ人物です」と答えた。




張華がその理由を聞くと、「斉の桓公管仲を用いて覇者となり、豎刁を用いて自分の遺体に虫が湧くという事態になりました。安楽公は諸葛亮を用いて魏に対抗し、黄皓を用いて国を失うことになりました。この成功と失敗の仮定が同じであることからわかるのです」と応じた。




また張華が「孔明の命令はどうして煩瑣なのか?」と訊くと、李密は「昔、舜・禹・皋陶がお互いに語り合う際には話が通じる同士なので言葉も簡便でしたが、不特定多数を相手にする大誥(命令)は煩瑣です。孔明が話す相手も自分と同等の能力の者ではないので、孔明の命令も煩瑣なものとなっていたのです」と答えた。






李密の回答は、諸葛亮について批判されていたと思われる「煩瑣である」という点を弁明し、またおそらくは晋王朝内外で疑問視されていた劉禅の資質について一定の評価を下したものと解釈できるだろう。



斉の桓公はかの有名な宰相管仲の君主であり、管仲死後は宦官の豎刁を重用して国を乱し、そのために桓公は死後に葬儀もなかなか進まない状況となり、埋葬されない遺体が蟲だらけの腐海となるという有様だった。



劉禅はそのフォロワーであったというのが李密の評価である。





正直なところ、褒めているんだか微妙に感じないでもない。



何もかも臣下次第で、しかも姦臣もホイホイ重用してしまうっていうのはまあ明君ではない気がする。




なんというか、これは「劉禅を最大限に好意的に評価しよう」という難易度Aのミッションに満点の正解を出した、という感じもする(もちろん、李密が単純に斉の桓公を高評価していて、劉禅の事も素直に高く評価していた可能性だってあるが)。



李密も旧蜀漢の人間なので、あまり率直には言いづらいという面があっても不思議ではない。





張華が李密を「善」としたのは、「あの劉禅を嘘にならない程度に好意的に評した!」ということへの賞賛だったのかも・・・。