涼州の動揺

是時、太祖徙民以充河北、隴西・天水・南安民相恐動、擾擾不安、既假三郡人為將吏者休課、使治屋宅、作水碓、民心遂安。
(『三国志』巻十五、張既伝)

曹操が漢中などの民を移住させまくっていたとき、隴西・天水・南安すなわち涼州の民は動揺したという。



つまり、「自分たちも強制移住させられるんじゃないか」と思ったという事である。



張既はそこでその三郡の将や官吏に休みを与えて家に帰らせ、家の修理やら水車作りやらをやらせた。




官吏がそういったことをするということは、自分たちは強制移住の対象にならないのだ、と周囲は判断し、そこで動揺は収まったのである。





この件は、涼州では当時もなおhttp://d.hatena.ne.jp/T_S/20140827/1409065457などで紹介したような悲惨な強制移住の記憶が語り継がれていたであろうと考えると、過剰反応とか杞憂とかでは済まされない問題を抱えていると言えるかもしれない。




この時の曹操・張既の政策は涼州の心の闇に触れていたのである。