占いバトル

臣為郎時、與太卜待詔為郎者同署、言曰「孝武帝時、聚會占家問之、某日可取婦乎?五行家曰可、堪輿家曰不可、建除家曰不吉、叢辰家曰大凶、暦家曰小凶、天人家曰小吉、太一家曰大吉。辯訟不決、以状聞。制曰『避諸死忌、以五行為主。』」
(『史記』巻百二十七、日者列伝、褚先生補)


史記』にときどき顔を見せる褚先生(褚少孫)自身による体験談。




彼はこんな話を皇帝お抱え占い師たちから聞いたという。




武帝の時、この日は婚礼に良いかどうかを占うようにと各流派の占い師たちに訊ねた。



そうしたところ、「良い」という者、「ダメだ」という者、「不吉である」という者、「大凶である」という者、「小凶である」という者、「小吉である」という者、「大吉である」という者、各流派で見事にバラバラだったという。



そのことをそのまま報告したところ、詔で「どれかの流派で死に至る忌み日は避けるようにし、五行家の占いを基礎として決めるように」との命令が下ったそうだ。





現代でも易と星占いと血液型占いと動物占いでは全く違う結果が出そうだが、この時代でもそれは変わらないようだ。



しかも彼らはいわば「国家占い師」であるわけで、皇帝の行事やらは大抵がこの記事のように占いによって期日を決めていたのだろうから、こんな風に完全に占いが割れてしまったら調整する側も大変だったことだろう。