漢の武帝の怨念

其後帝閑居、問左右曰「人言云何?」左右對曰「人言且立其子、何去其母乎?」帝曰「然。是非兒曹愚人所知也。往古國家所以亂也、由主少母壮也。女主獨居驕蹇、淫亂自恣、莫能禁也。女不聞呂后邪?」故諸為武帝生子者、無男女、其母無不譴死、豈可謂非賢聖哉!昭然遠見、為後世計慮、固非淺聞愚儒之所及也。謚為「武」、豈虚哉!
(『史記』巻四十九、外戚世家、褚先生補)


漢の武帝は最晩年にわが子の中でも一番幼い皇子(昭帝)を跡継ぎにしようと考え、それに先立ってその母の趙氏を急に怒って処断してしまった。



それについて臣下が「立てようとする皇子の母上を処断してしまうとはどうしたのですか?」と尋ねると、武帝はこう答えたという。



「お前等愚民にはわからんだろうな。古来から朝廷を乱す者といえば幼い君主が立ったときの母后と決まっておる。呂后を知っているであろう?」





武帝は彼女に限らず自分の子を産んだ女性を全員殺していたという。





ここでは褒め殺しっぽいくらい絶賛されているが、ここまで来ると王朝のためというよりも何かこう女性に対する異様なまでの不信感か怨念のようなものを感じてしまう。





女性大好きな私には理解しがたい感覚である。