『潜夫論』を読んでみよう−実辺篇その5

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20140928/1411831286の続き。



周書曰「土多人少、莫出其材、是謂虚土、可襲伐也。土少人衆、民非其民、可匱竭也。」是故土地人民必相稱也。今邊郡多害而役劇、動入禍門、不為興利除害、有以勸之則長無與復之、而内有寇戎之心、西羌北虜必生窺欲、誠大憂也。百工制器、咸填其邊、散之兼倍、豈有私哉、乃所以固其内爾。先聖制法、亦務實邊、蓋以安中國也。譬猶家人遇寇賊者、必使老小羸軟居其中央、丁彊武猛衛其外。内人奉其養、外人禦其難。蛩蛩距虚、更相恃仰、乃倶安存。
(『潜夫論』実辺第二十四)


『周書』では「土地が大きくても人が少なく、人材を輩出しないのは「空虚な土地」というもので、攻め取ることができる。土地が小さくて人が多く、民を支配できていないのは、窮乏させることができる」と言っている。


これゆえに、土地と民とは釣り合うようにしなければいけないのだ。




今、辺郡は害が多いのに賦役は厳しく、禍を受けることも多い。



辺郡のために利益となることを興し害となることを排除して辺郡への居住を勧めなければ、戻ろうという気持ちにはならず、敵に降伏してしまおうという考えを生じさせてしまうことになるだろう。


西羌はそれに乗じて欲を出してくるであろう。大いに憂うべき事態である。




職人が道具や武器を作って辺境を満たし、作る早さの二倍で消耗するのは、ちょろまかしているからではない。


過去の聖人たちが定めた法もまた辺境を満たすことに勤めているのだ。


それはおそらく中国を安定させるためである。




例えれば、ある家が賊に攻められたら、老人や子供を家の中央に置き、屈強な者に外敵を守らせるようなものである。



内地の人が養うために必要なものを用意し、外地の人が国難から守り、お互いに共存する関係となることで、どちらも安定することができるのである。


王符先生いわく、内地は辺境のために生産して辺境に物資を送り込め、辺境は内地という貧弱な生産者を守っているのだ、ということらしい。



辺境を防衛線の激戦地と考えれば、ある意味では当然の事と言える。だが、おそらく当時はそう思っていた人ばかりではなかったのだろう。




王符先生はまずそもそも辺境は内地が戦場にならないよう守っている防衛線だと定義しているが、当時の論者はそもそもそうは考えず、「涼州を棄てて与えてやればもう来ないだろ」と考える者が多かったのかもしれない。



この認識の違いが色々な悲劇を生んだ一因だったのではなかろうか。





もう飽きたな、って思ってるみんな!喜べもうすぐ終わるよ!(ヤケ)