『潜夫論』を読んでみよう−辺議篇その6

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20140918/1410966580の続き。


今言不欲動民與煩可也、即然、當修守禦之備。必今之計、令虜不敢來、來無所得、令民不患寇、既無所失。今則不然、苟憚民力之煩勞、而輕使受滅亡之大禍、非人之主、非民之將、非主之佐、非勝之主者也。
且夫議者、明之所見也。辭者、心之所表也。維其有之、是以似之。諺曰「何以服很、莫若聽之。」今諸言邊可不救而安者、宜誠以其身若子弟、補邊太守令長丞尉、然後是非之情乃定、救邊乃無患、邊無患中國乃得安寧。
(『潜夫論』辺議第二十三)

今、民を動揺させたり思い徭役を与えたりしたくないというなら、守りを固めるべきである。守りを固めて敵が来ても収穫が無いようにすれば民は侵略に苦しむことが無く、何も失わずに済むのだ。



だが実際にはそうではなく、民を労役に従事させるのを憚って、かえって軽々しく滅亡の危機へと陥れようとしているのである。これは人の主君、民の将帥、主君の補佐、勝利をもたらす者のやることではない。




議論というのは見たところを明らかにすることであり、言葉とは心の内を表明するためのものである。



それがあるからこそ、子孫に継がせるのである。




諺に「どうして争いごとに屈服するのか。許してやればいい」と言う。



今、辺境は救うことが出来ないと言っている者たちは、本人か子弟を辺境の郡や県の長官にしてやればいい。

そうすれば事の是非は定まり、辺境は救われて禍は無く、中国全部が安定することとなるであろう。



政府の決定は誤っている!

今の危険を避けることと目先の金ばかりで将来を考えていない!

決めている連中も自分や後継者が苦しい目に遭えば考えを翻す!




王符先生の主張は、現政府、権力者たちに対する不満と不信が相当に発露しているように思われる。


ほとんど軽蔑レベルに嫌っていたのではなかろうか。



それくらい、涼州において戦意があったのに放棄と強制移住を決められ、まともに救援してくれなかったことに対する恨みと怒りが強かったのだろう。






というところで辺議篇は終わりである。



このあとどうするかは自分でも決めていない。