『潜夫論』を読んでみよう−実辺篇その3

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20140922/1411313204の続き。


且夫士重遷、戀慕墳墓、賢不肖之所同也。民之於徙、甚於伏法、伏法不過家一人死爾。諸亡失財貨、奪土遠移、不習風俗、不便水土、類多滅門、少能還者。代馬望北、狐死首丘。邊民謹頓、尤惡内留。雖知禍大、猶願守其緒業、死其本處、誠不欲去之極。
太守令長、畏惡軍事、皆以素非此土之人、痛不著身、禍不及我家、故爭郡縣以内遷。至遣吏兵、發民禾稼、發徹屋室、夷其營壁、破其生業、強劫驅掠、與其内入、捐棄羸弱、使死其處。當此之時、萬民怨痛、泣血叫號、誠愁鬼神而感天心。然小民謹劣、不能自達闕庭、依官吏家、迫將滅嚴、不敢有摯。民既奪土失業、又遭蝗旱饑遺逐道東走、流離分散、幽冀兗豫荊楊蜀漢飢餓死亡、復失太半。邊地遂以丘荒、至今無人、原禍所起、皆吏過爾。
(『潜夫論』実辺第二十四)

故郷から離れたがらず、祖先の墳墓がある土地を恋しく思うのは賢人も凡人も同じである。




民の強制移住は法の裁きを受けるよりも酷い。


法の裁きは一人が死ぬだけだが、財産を失い、土地を奪われ風土の合わない遠くへ移住させられれば、一門が滅ぼされるようなもので、還ってこれる者も少ないのである。


代の馬は北の方を向き、狐は生まれた丘の方を向いて死ぬという。


同じように、辺境の民もまた内地への移住を嫌がり、故郷を離れたがらない者の究極の姿は、とどまれば大きな禍があると分かっていても、これまでの自分の家や財産を守って故郷で死ぬ方を選ぶのだ。




太守や県の令・長は軍事が不得意で、元からそこに住む人間ではなく、その地の人間の痛みや災いを共有していない。

そのため争って郡県まるごとを内地に遷そうとし、官吏や兵士を派遣して住民の作物を徴発し、家屋や城壁や産業を破壊し、無理やり移住させようとし、ついていけない弱者を切り捨てて死ぬに任せるまでに至るのだ。



この時、万民は悲痛な叫びをあげ、神々や天も感応したのである。しかしちっぽけな連中は朝廷にそれを伝えることなく、官吏に依拠して権力で抑えつけ、怖がることもなかった。



民は土地や財産を奪われ、また蝗や日照りや飢餓にも遭遇し、東へ逃げる道中で一家離散し、幽・冀・兗・豫・荊・揚州・蜀漢での餓死者や逃亡者が三分の二にも至ったのである。



辺境はこうしてついに荒れ果て、現在まで無人の野となっている。




この災厄の原因を追究してみると、これはみな官吏のやった誤りに起因するのである。



王符先生が語る「報告書には載っていない真実の辺境」。




王符先生は現地のことを本気で考えない惰弱な太守たちの責任を指弾し、どれだけの害悪があったのか、民がどれだけ過酷な目に遭ったのかを書き連ねる。



当時の現地の太守や政府に対しては全く怒りや恨みを隠そうとしない先生マジ怖い。




どうやらこのあたりの文はやはり『後漢書』西羌伝の下地となっているようだ。