献帝の果敢なプレー

以前、http://d.hatena.ne.jp/T_S/20110510/1304953769のような記事を書いたことがある。




曹操献帝に謁見する際、献帝は衛兵が武器を持つ間に挟まれたという件。





これについて、ツイッターでの諸氏とのやり取り等も併せて考え直してみると、この時の献帝(あるいはこの措置を事実上行った者)は、かなりスレスレなところに踏み込んだチャレンジャーではないかと思うようになった。





曹操は朝廷を掌握する過程でそれまでの朝臣をかなり粛清していて、代わりに来ているのは荀紣のような曹操の腹心やその協力者。



つまり、献帝曹操に常時監視される状態となったわけで、曹操の意に反するような決定や行動はかなり厳しく制限されたものと推測される。



上に挙げた件は、それを考えると曹操監視網を潜り抜け、あるいは曹操側の反対を押し切った、献帝のかなり果敢なプレーであったのではなかろうか*1

*1:もちろん、董承のような曹操よりはまだしも献帝よりであろう人物も朝廷にいたことはいたが。