『後漢書』本紀ではさらっと書いてあるけど、この「司直」設置というのは当時の曹操による朝廷支配にとって割とデカい意味を持っているんじゃないだろうか。
中都官ということは朝廷の諸官を監督した、ということになるのだろう。
で、だいたいこの時期に司直になった人物といえば荀紣が曹操に推薦した経緯のある杜畿。
つまり曹操と荀紣が選んだ人物なわけで、司直というのは曹操が朝廷の諸官の勝手を許さない、言い換えると曹操への反抗を監督する官なのだと言うことができるだろう。
それまで曹操は朝廷を全面的に支配していたとまでは言えず、董承や司徒趙温のように曹操たちとは微妙な温度差のあったと思われる大官もいた。
だが、この措置によっておそらくはそんな大臣たちを曹操の息のかかった人物がおおっぴらに監視するようになった、ということになるのではなかろうか。