たけざお

(永初元年)先零別種滇零與鍾羌諸種大為寇掠、斷隴道。時羌歸附既久、無復器甲、或持竹竿木枝以代戈矛、或負板案以為楯、或執銅鏡以象兵、郡縣畏懦不能制。
冬、遣車騎將軍訒騭、征西校尉任尚副、將五營及三河・三輔・汝南・南陽・潁川・太原・上黨兵合五萬人、屯漢陽。明年春、諸郡兵未及至、鍾羌數千人先撃敗騭軍於冀西、殺千餘人。
(『後漢書』列伝第七十七、西羌伝)

後漢永初年間の羌の反乱の際、十分な武器を持たない羌はたけざおからたけやりを作って装備したり、ただの板を盾として使ったり、あまつさえ銅鏡を持つ兵士さえいたというが、郡県(おそらく長官や属官)は惰弱であったため恐れをなして制御できなかった、という。




銅鏡は別に水鏡の盾になるとかそういうのでもないしそこらの野良犬の真の姿を映し出すとかいうのでもないし日光で敵を焼き尽くすとかいうのでもなく、金属の輝きで敵(漢の将兵)に鋭利な武器を持っていると誤認させるためだろう。





そういう反乱軍を抑えられないどころか先制攻撃喰らって負けたりするとかどういう正規軍なんですかね・・・。



王符が嘆くのもわかる気がする。