『潜夫論』を読んでみよう−救辺篇その5

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20140905/1409843693の続き。


今苟以己無慘怛冤痛、故端坐相仍、又不明修禦之備、陶陶閑澹、臥委天聽。羌獨往來、深入多殺、已乃陸陸、相將詣闕、諧辭禮謝、退云状、會坐朝堂、則無憂國哀民懇惻之誠。苟轉相顧望、莫肯違止、日晏時移、議無所定、已且須後、後得小安、則恬然棄忘。旬時之間、虜復為害、軍書交馳、羽檄狎至、乃復怔忪如前。若此以來、出入九載、庶曰式臧、覆出為惡、佪佪潰潰、當何終極?春秋譏「鄭棄其師」、況棄人乎?一人吁嗟、王道為虧。況百萬之衆、叫號哭泣、感天心乎?
(『潜夫論』救辺第二十二)


今、仮に自分に痛みを伴わないとしたら、気軽に今まで通りとし、防備を明らかにせずに安穏としてことの成り行きを天意に任せ、羌は好き勝手に往来して深く侵入して多数の被害者が出、大臣や将軍が謝罪することとなって朝議の場になっても、国を憂い民を憐れむという気持ちは無いのであろう。



仮に状況を顧みても止めようとはせず、時間ばかりが過ぎていき、議論は定まることはなく、しばらく待つのみで、小康状態となるとまた忘れてしまう。



そして少し経つと羌はまた害をなし、戦地から急報が届くようになってまた前のように驚き慌てるのだ。




こんなことが九年も行われた。「善人を用いるべしと願ったのにかえって悪事をされた」というものである。


どれほどもだえ苦しまないといけないのだろうか!





『春秋』は「鄭が自分の軍を見捨てた」ことを批判している。まして、民を見捨てたのはなおさらである。



王道というのは一人が嘆きの声を上げただけでも欠けるものである。まして、百万の民衆が泣き叫び、天さえもそれに動かされているのであるから、なおさらである。



王符先生はかなり踏み込んだ発言をしている。実はこれまでで一番強い政権批判と言える。



というのは、「庶曰式臧、覆出為惡」は『詩経』の引用だが、事実上西周王朝を自滅させた幽王を諷刺した詩なのである(悪をなしたのは幽王のこと)。



間接的にではあるが、今の後漢もそれくらいの無道と悪政だと言いたいのであろう。




はっきりとは流石に書いていないが、「こんなことをしていると滅びる!」ということが真に言いたいことなのではなかろうか。