今典州郡者、自違詔書、縦意出入。毎詔書所欲禁絶、雖重懇惻、罵詈極筆、由復廢舎、終無悛意。故里語曰「州郡詔、如霹靂、得詔書、但挂壁」*1。
(崔寔『政論』)
後漢の崔寔によると、州や郡において皇帝が発布した禁絶の詔は、それがどれだけ厳しい筆致で命令されていても州・郡では打ち捨てられて改めようとはしないものだ、という。
そこで世間では「州郡での詔は、いかずちのようではあるが、詔が届いても壁に掛けられるだけだ」などと言われていたのだそうだ。
後漢の地方統治は何かとアレな感じが強い(もちろんこれはある種の誇張がなされているかもしれないが)。
まだ完全な混乱期となる以前のことと思われる時期でもなおこの通りなのだから、タガが外れた後漢末献帝期などがどうであったかは推して知るべしというところではなかろうか。
*1:厳可均・孫啓治の校注により改める。