さいりん!

舊時永平・建初之際、去戰攻未久、朝廷留意于武備、財用優饒、主者躬親、故官兵常牢勁精利。有蔡太僕之弩及龍亭九年之劍、至今擅名天下。
(崔寔『政論』)

崔寔いわく、かつて(後漢の前半)の兵士の装備は朝廷も意を払っていて予算も潤沢であり、役人も自ら監督していたので、堅牢な防具や営利な武器であった、という(先日の後漢後半の武器の質の悪さと対比されている)。




中でも「蔡太僕の弩」や「龍亭九年の剣」は、今(後漢後半)でもその名をほしいままにしているほど有名なのだという。






(蔡)倫有才學、盡心敦慎、數犯嚴顏、匡弼得失。毎至休沐、輒閉門絶賓、暴體田野。後加位尚方令。永元九年、監作祕劒及諸器械、莫不精工堅密、為後世法。
・・・(中略)・・・
元初元年、訒太后以倫久宿衛、封為龍亭侯、邑三百戸。後為長樂太僕
(『後漢書』列伝第六十八、宦者列伝、蔡倫

この「蔡太僕の弩」とは御覧の通り長楽太僕となった蔡倫の作った弩のことであり、「龍亭九年の剣」というのも「龍亭侯蔡倫が永元九年に作った鋭利な剣」のことである。




何かと言うと蔡倫紙のことばかり思い出される蔡倫だが(当たり前ではあるが)、彼は武器開発改良の専門家であり、彼の名前が武器に冠されるほどであった、ということらしい。