伏氏の血統

二子、隆、翕。
翕嗣爵、卒、子光嗣。
光卒、子晨嗣。晨謙敬博愛、好學尤篤、以女孫為順帝貴人、奉朝請、位特進。
卒、子無忌嗣、亦傳家學、博物多識、順帝時、為侍中屯騎校尉。永和元年、詔無忌與議郎黄景校定中書五經・諸子百家・蓺術。元嘉中、桓帝復詔無忌與黄景・崔寔等共撰漢記。又自采集古今、刪著事要、號曰伏侯注。
無忌卒、子質嗣、官至大司農。
質卒、子完嗣、尚桓帝女陽安長公主。女為孝獻皇后。曹操殺后、誅伏氏、國除。
(『後漢書』列伝第十六、伏湛伝)

古今注八卷。伏無忌撰。
(『隋書』巻三十三、経籍志二、史、雑史)

後漢初期に大司徒となった伏湛の子孫が「古今注」を作った伏無忌なのか。



そしてその伏無忌の曾孫が曹操にしまっちゃわれた献帝伏皇后か。





伏皇后ってもしかして凄いインテリ一家の出なのか*1

*1:伏湛の先祖が前漢の学者伏生とされている。