兵士の装備

頃主者既不敕慎、而詔書又誤進入之賓*1、貪饕之吏競約其財用、狡猾之工復盗竊之、至以麻枲被弓弩、米粥雜漆、焼鎧鐡焠醯中、令脆易治、鎧孔又褊小、不足容人。刀牟悉鈍。故邊民敢鬪健士皆自作私兵、不肯用官器。
(崔寔『政論』)

後漢でしばしば辺境の太守を務めた崔寔によると、この時代の官が支給する武器防具は役人が競って「経費削減」したり、小ズルい受注者が「中抜き」したり、といったことのために品質がかなり悪くなっていた、という。




そのため、辺境の軍人、兵士たちは自分で武器や防具を用意し、官支給のものを使おうとはしなかったのだという。




ここまで来ると傭兵とあまり変わらなくなってくるのではないか。





つまり、後漢の辺境では軍隊と中央政府の力関係が相当いびつになっていたということなのではなかろうか。

*1:ここは何らかの誤りがあるのではないかと指摘されている。