この件はなかったことに

癸卯、尚書奏請下有司、收還延光三年九月丁酉以皇太子為濟陰王詔書。奏可。
(『後漢書』紀第六、孝順帝紀、延光四年十二月)

後漢の順帝はもともと安帝の皇太子だったのだが、済陰王にされてしまった。つまり位を追われたのである。



その後、父の安帝が死ぬと親戚の赤子が選ばれて皇帝になったが、その赤子はその年のうちに死んでしまい、宦官や皇帝の侍従たちによってこの元皇太子が皇帝に擁立されたのである。




その順帝即位直後、尚書は「各役所に対して出した皇太子を済陰王にするという詔書を全て返却するようお願いします」と上奏した。



これはつまり、「皇太子の廃位の詔は誤りだったので、なかったことにして返してください」ということだろう。




皇帝の詔については「綸言汗の如し」などと言われ、一旦出た汗を身体に戻せないように詔も戻せないのだ、とされている。



だが、「皇帝の文書を司る尚書での間違い」ということにすることで、皇帝の無謬性に傷をつけないでなおかつ不都合な詔の存在も否定するという荒業もあったようだ。