暗殺宴会

江表傳曰、初、(孫)晧游華里、(萬)紣與丁奉・留平密謀曰「此行不急、若至華里不歸、社稷事重、不得不自還。」此語頗泄。晧聞知、以紣等舊臣、且以計忍而陰銜之。後因會、以毒酒飲紣、傳酒人私減之。又飲留平、平覺之、服他藥以解、得不死。紣自殺。平憂懣、月餘亦死。
(『三国志』巻四十八、孫晧伝、鳳凰元年、注引『江表伝』)


昨日の話の続きみたいなものなんだが、これってなかなか酷いよな。




呉の皇帝孫晧は、大臣たちが自分の安否よりも「社稷」すなわち次の皇帝を決めて朝廷を安んじることを優先した(言い替えると孫晧はもう諦めた)ことに腹を立てたが、彼ら旧臣の影響力を慮って表立っては動かなかった。




しかしその後、大臣たちが集う会の席で大臣たちに毒酒を飲ませて殺害しようとしたのだった。




しかし万紣に毒酒を注ぐ人間が少なく注いだために万紣が死ぬことはなく、また同じく留平は毒だと気付くと毒消しを服用して死なずに済んだ、という。






この時代は朝廷の公式行事と思われる宴席でも常に毒殺の危険性がある、とそれ以前から思われていたということになる。



だからこそ毒消しを常に携行していたということなのだろう。






パワハラ上司が中心にいる宴会というだけで気分が滅入るのに、飲み物自体が悪意を持っているとか恐ろしすぎる。



こんな嫌な宴会は学生時代の研究し・・・いやなんでもない。