魔法つかい陳訓

陳訓字道元、歴陽人。少好祕學、天文・算暦・陰陽・占候無不畢綜、尤善風角。
孫晧以為奉禁都尉、使其占候。晧政嚴酷、訓知其必敗而不敢言。
時錢唐湖開、或言天下當太平、青蓋入洛陽。晧以問訓、訓曰「臣止能望氣、不能達湖之開塞。」退而告其友曰「青蓋入洛、將有輿櫬銜璧之事、非吉祥也。」尋而呉亡。訓隨例内徙、拜諫議大夫。俄而去職還郷。
(『晋書』巻九十五、芸術伝、陳訓)


三国呉末期の人陳訓は、占いその他各種の秘術を学んだ。いわば魔法つかいであった。




そんな彼は呉の皇帝孫晧に取り立てられて「奉禁都尉」になったという。



名前から察すると、魔術の類を武器とする軍団が作られていて、その司令官のような地位についた、ということになるのではなかろうか(「禁」には「まじない」といった意味もあり、また「都尉」ということは部隊長、将校という扱いということになる)。





孫晧孫皓)は魔法つかい軍団を編成していた、という可能性がある。そのことだけでご飯何杯でもイケる人たちには朗報。