韋と金

三輔決録注曰、金旋字元機、京兆人、歴位黄門郎、漢陽太守、徴拜議郎、遷中郎將、領武陵太守、為備所攻劫死。子禕、事見魏武本紀。
(『三国志』巻三十二、先主伝注)

劉備に敗れたあの金旋は、漢陽太守だった時期があるらしい。





漢陽郡=天水郡であり、涼州牧韋端・刺史韋康親子の本拠あたりであったはずなので、韋端と金旋が共に涼州にいた時期があったんじゃないだろうか。





そんな金旋の子供と、(もしかしたら)韋端・韋康の親族(かもしれない)韋晃が共に反旗を翻す(吉本の乱)というのはちょっと面白い。



色々と想像できるではないか。