兵士の妻子

頃之、護軍營士竇禮近出不還。營以為亡、表言逐捕、沒其妻盈及男女為官奴婢。盈連至州府、稱寃自訟、莫有省者。乃辭詣廷尉。(高)柔問曰「汝何以知夫不亡?」盈垂泣對曰「夫少單特、養一老嫗為母、事甚恭謹、又哀兒女、撫視不離、非是輕狡不顧室家者也。」柔重問曰「汝夫不與人有怨讎乎?」對曰「夫良善、與人無讎。」又曰「汝夫不與人交錢財乎?」對曰「嘗出錢與同營士焦子文、求不得。」時子文適坐小事繫獄、柔乃見子文、問所坐。言次、曰「汝頗曾舉人錢不?」子文曰「自以單貧、初不敢舉人錢物也。」柔察子文色動、遂曰「汝昔舉竇禮錢、何言不邪?」子文怪知事露、應對不次。柔曰「汝已殺禮、便宜早服。」子文於是叩頭、具首殺禮本末、埋藏處所。柔便遣吏卒、承子文辭往掘禮、即得其屍。詔書復盈母子為平民。班下天下、以禮為戒。
(『三国志』巻二十四、高柔伝)

三国魏でのこと。




兵士の竇礼なる男が軍営に戻ってこないという事件があり、竇礼の妻子は連座して官奴婢の身分に落とされた。




だがそれは実際には金の貸し借り絡みでの殺人事件であった。


竇礼の妻が廷尉に訴え出たことで廷尉の高柔が真相に気付き、犯人が捕まり竇礼の遺体も発見され、竇礼の罪が冤罪とわかったため妻子は身分を回復されたのである。





たぶんこれはこの時代ばかりでないのだろうと思うが、兵士が逃亡して戻ってこないとそれだけで妻子は官奴婢にされてしまうということのようだ。